四谷シモン人形館 淡翁荘 YOTSUYA SIMON DOLL MUSEUM - TAN OU SOU
人形館によせて
人間にとって一番身近でありながら、同時に一番わかりにくいもの。「人形」はいつも、みる人を居心地悪くさせます。人形とは玩具なのか、アートなのか、このあいまいさも、そうした居心地の悪さを増幅させます。
人形とはいったいなんなのでしょうか。さて、こうした居心地の悪さゆえに敬遠されてきた人形は、逆にその居心地の悪さゆえにアートの最先端をいくものとして注目され、最近、人形が美術館やギャラリーで展示される機会も増えてきました。とはいえ、人形が十分に市民権を得たとはいえないのが現状であり、人形作品がなかなか見られないという声が多いのも事実です。
こうしたなかで、私の作品が鎌田醤油の歴史的な建物「淡翁荘」の中に常設展示されることとなりました。年月を積み重ねたこの洋館は人形作家にとって願ってもない夢のような展示空間であり、私の人形たちの安息の場所に相応しいものです。美術館や画廊とは異なる雰囲気をもった室内で私の作品を体験していただき、人間にとって永遠に不可思議な存在である人形についてあらためて自分の眼と心で考えていただければ幸いです。
最後になりましたが、公益財団法人鎌田共済会、佐野画廊さんをはじめ「四谷シモン人形館」開設にご協力いただいた皆様に御礼を申し上げます。
四谷 シモン
四谷シモン人形館 淡翁荘 / シモンドールの世界
作者紹介
四谷シモンYotsuya Simon
1944年 | 東京生まれ。両親の土産で少年の頃から人形に親しみ、10代から人形をつくりはじめる。 |
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1962年 | 現代人形美術展(朝日新聞社主催)に入選。 |
1965年 | 雑誌『新婦人』に掲載された澁澤龍彦の記事により、ハンス・ベルメールの作品を知り、 球体関節人形をつくりはじめる。 |
1967年~71年 | 唐十郎主宰の状況劇場公演に出演し、四谷シモンを名乗る。 |
1970年 | 大阪万国博覧会のせんい館のために「ルネ・マグリットの男」を制作。 |
1972年 | 肖像写真と人形を組み合わせた『十人の写真家による被写体四谷シモン』展開催。 |
1973年 | 銀座の青木画廊で初の個展『未来と過去のイヴ』開催。澁澤龍彦からオマージュをもらう。 |
1978年3月 | 人形学校「エコール・ド・シモン」開校。 |
同年10月 | パリ装飾美術館で開催された『間――日本の時空表現』展に禅僧の人形を出展。 |
1981年 | 第一回エコール・ド・シモン展開催。 |
1985年 | 澁澤龍彦の監修で、初の作品集『四谷シモン 人形愛』出版(美術出版社)。 |
2000年~01年 | 大分市美術館を皮切りに全国五カ所の美術館で大規模な個展を開催。 |
2002年 | 自伝『人形作家』出版(講談社現代新書)。 |
2003年 | 人形作品「男」が押井守監督のアニメ映画『イノセンス』のキャラクター、キムのモデルとなる。 |
2004年1月 | パリ市立アル・サン・ピエール美術館の『POUPEE(人形)展』に「ピグマリオニスム・ナルシシズム」など4点の作品を出展。同展では、四谷シモン作品が全体のポスターに採用される。 |
同年2月 | 東京都現代美術館の『球体関節人形展』に11点の作品を出展。 |
同年7月 | 鎌田醤油「淡翁荘」で作品の常設展示開始。 |
2010年 | 若い頃に影響を受けたベルメールの生誕地カトヴィツェ(ポーランド)の芸術団体アルス・カメラリスの要請を受け、ポーランドで『四谷シモンと友人たちーー日本におけるベルメール』展開催、「ピグマリオニスム・ナルシシズム」などを展示。 |
2014年 | そごう美術館、西宮市大谷美術館で個展『SIMONDOLL 四谷シモン』開催。 |
2016年 | ロンドンの美術館、テート・モダンで細江英公が撮影した四谷シモンの写真「シモン私風景」シリーズ26点が展示される。 |
2017年7月 | 自伝『人形作家』改訂新版出版(中公文庫)。 |
同年10月 | 澁澤龍彦没後30年記念『澁澤龍彦 ドラコニアの地平』展(世田谷文学館)で、澁澤蔵の「機械仕掛の少女」が展示される。また同展の記念対談にも参加。 |
人形のすみか 淡翁荘
昭和11年に淡翁・鎌田勝太郎が迎賓館として建築した鉄筋コンクリート壁構造2階建の洋館。1階は和室中心で約141平方メートル(42.7坪)、2階は洋室中心で約125平方メートル(37.8坪)。施工は当時の「合資会社清水組大阪支店」。
従来は周辺の木造住宅と連続して使われていたが、老朽化したため早川正夫建築設計事務所(東京)の設計監理で1階管理部分約50平方メートル(15.2坪)を増築し、独立建物に改修したもの。2014年12月に登録有形文化財となる。
「人形愛」の館
この旧い建物「淡翁荘」はまるでシモンの人形を迎えるために存在していたかのようだ。人形たちは、昔からその場所に飾られることが決められていたように、ぴったりと洋館の内部に納まっている。時間が緩やかに流れる良き時代の建築物の中で、人形―異界の住人―たちが静かに呼吸する幻想のドールハウスが誕生した。
2000~2001年に開催された個展「四谷シモン―人形愛」のためにシモンは数点の新作を創った。そのほとんどが常識破りの大きな男の人形で、「髭面やスキンヘッドの裸の大男の人形なんて誰も引き取らないよ」と展覧会に関係した私たちは、その後の行き場を心配していた。しかし運命だったのか偶然だったのか四国の地に運ばれ、廃屋となった病院を転用したテンポラリーなギャラリーに二年間ほど展示されたのち、坂出の旧家の別邸に安住の場所を得た。それが、とびっきりの空間なのだ。昭和初期に建てられたというモダン建築は、シモンの作品、そして四谷シモンという人間が漂わせるゴージャスでデカダント、そして少しデンジャラスな雰囲気に実によく似合うのである。
上に述べたように、ここで公開される人形は近作が中心である。1970~80年代の美少年や美少女の作品ではなく、男の人形が大半を占めるのだが、そのことがこの館の気品を決定づけているような気がする。妖しさの中にクールなオトナの美学が感じられるのだ。
ところでシモン・ドールの基本形は箱入人形である。これまでの作品をたどると、この館に展示されている《目前の愛》などのように像が箱に封じ込められた様式が目につく。球体関節人形とはいっても高価なシモン作品の身体を動かして玩ぶようなコレクターはいないだろうし、ほとんどは最良の表情にポーズを固定されたままケース(箱)に入れて大切に飾られている。それらは"標本"を思わせるのだが、「像(ひとがた)を箱に閉じ込める」というのも人形愛のひとつの表現形態だろう。壮麗な洋館をまるごと一棟ケースにして、幾体もの人形を閉じ込めてしまった『四谷シモン人形館 淡翁荘』は、現世における人形愛の至上のかたちというべきか。人形とは、人形の魅力(魔力?)とは、そしてオトナのオトコの人形愛とはこういうものなのである。
三上 満良 (宮城県美術館副館長)